由来 |
詩人高村光太郎の妻、智恵子没日(「レモン哀歌」) |
目的 |
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制定年 |
1938 |
制定団体 |
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涙なしでは読めない、愛に溢れた悲しいうた
詩人・彫刻家である高村光太郎の妻、高村智恵子の命日が今日、10月5日です。なぜこの日が「レモンの日」となったのか、それには深く悲しいエピソードが隠されています。光太郎と智恵子は幸せな結婚生活を送っていましたが、1929年に実家が破産したことをきっかけとして智恵子は精神を患い、自殺未遂や奇行を繰り返すようになりました。光太郎はそんな妻に胸を痛めながらも詩をしたため、看病をつづけます。ついに入院せざるを得ないほど智恵子の病状は悪化し、さらに肺結核まで患った1938年の10月5日。光太郎が持っていたレモンをかじった智恵子がふと正気に戻り、微かに微笑み、そのまま静かに息を引き取ったそう。その最期の瞬間を詠ったのが、かの有名な「レモン哀歌」です。智恵子との出会いから幸せな結婚生活、そして精神異常を患ってから亡くなるまでのことが描かれた詩集「智恵子抄」は、映画やドラマなどさまざまな創作の題材となっています。
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